[仕事]編集の師匠と酒を飲む


K上さんは私が以前に所属していた編集プロダクションで私の上司であり,かつその編集プロダクションの自社出版部門の編集長だった方である.

とはいっても10人しかいない編集プロダクションなので,上司といっても部下は私しかおらず,編集長といっても編集部に部員は私1人しかいなかったのだが,誰がなんといおうとK上さんは私の編集の師匠なんである.

当初,K上さんが私が所属していた編集プロダクションに,前にいた編集事務所を辞めて入社してきたときには,私は若さゆえに反発したりもしたのだが,その当時ひどく態度の悪い私に厳しくしながらも真摯かつ熱心に編集のイロハやなんたるかを教えてくれるK上さんをみるにつけ,


 愛があるというのはこういうことなのか!!


目から鱗が落ち,それからは態度を改めたのだが,このとき他人にモノを教えるというのは愛のない人間にとってはとても難しいことなのだということの一端を垣間見たのである.

しかし,自分が当時のK上さんとは立場は違うけれども,似たような苦労をするはめになるとは当時は思いもしなかったのだが,いま思うと自分が他人にしてきたことをされているのかと思うと,これも当然の報いなのかもしれないな,などと思ったりもする.

そしてK上さんは私とともに所属していた編集プロダクションが縮小され,社員全員が解雇されたあと,若かった私はさほど苦労もせずに前の印刷所に再就職したのだが,50代半ばだったK上さんは熱心に就職活動をしたものの再就職できず,ご苦労や紆余曲折を経て医学書を発行している出版社のI社に勤めているのである.

なんにせよいまの私があるのはこの方のおかげといっても過言ではないのでK上さんには頭が上がらないのだが,今回はそんなK上さんに会社を辞めたことを伝えるついでにK上さんの仕事の現状や出版業界のよしな話をしてきたのだ.

だが,K上さんの仕事の現状といってもK上さんは編集作業をしているわけではなく,I社のなかでは「ヒマな人が片手間でやればいいじゃん」と思われているというか,そういう位置づけの自社のwebサイトの作成や運用をしているのだが,そもそもこの神保町にある出版社のI社というのは,再就職することができなかったK上さんの足下をみて,ほとんど飼い殺しみたいなことをしているところで,これについて書くと悪口しかでないのでこのことについて特に言及はしないし,本当であればK上さんが苦労しつつ制作に携わったサイトをここでぜひ紹介したいところなのだが,そのことによりちょっぴりでもアクセス数が増えたりすると腹が立つのでI社のサイトのURLも載せない.

とはいうものの見方によっては,いくらスキルがあろうとも再就職先のなかったK上さんを再雇用したという点でいえば評価はできるが,K上さんの待遇においてはビジネスライクやドライというよりも,むしろ


 「あんた本当に最低だな」


という言葉のほうがぴったりなので,前からここの社長には


 「適材適所という言葉はご存じですか?」


と聞いてやりたいと思っているのだが,私がそのことをいうとK上さん本人は


 「雇ってもらえて給料がもらえて家族が食っていけるだけまだいい」


とおっしゃっているし,そもそもこういうことをいったり書いたりすると自分の格を下げるだけなので私の周りの人間はみんなそのことについて深く突っ込んだり言及はしないのである.

なもんで,あえて私が書いておく.


 「あんた,そんなことばっかりしているといい死に方しないよ」


つうかね,やっている仕事によってその人の価値を決めたりするのは心の貧しい人のすることですよ.職業に貴賤はないのです.ましてや自分が与えた仕事によってその人の価値を決めているっていうのはどういうこと? そんなに自分はえらいってことか?

と,この会社は最低だということはいくらでも書けるのでこのへんでやめておき,K上さんとI社の前で待ち合わせをし,「じゃあ,いつものところしますか」ということですぐ近くのさくら水産に入ったのである.

そしてK上さんから「webサイトのリニューアルは本当に大変だった」とか「毎日が勉強」とかいう話を聞いていたら,突然K上さんから「次の仕事はどうするの?」と訊かれ,


 「いやあ〜,なんにも決めてないんですよ」

 K上「ああ,そうなの…….なにかやりたいこととかはあるの?」

 「いまのところ特にないですね」

 K上「出版はどうなの?」

 「まあ,出版でやっていこうと思えばいくらでもやっていけるとは思うんですけど……」

 K上「ほかのことをやりたいってこと?」

 「ええ,それも考えているんですけど,どうしたもんかなと思って」

 K上「ふ〜ん,まあ出版もあまりよくないからね」

 「そうなんですよ.それにもう出版にはあんまり魅力を感じないというか……」

 K上「う〜ん,そうなの? ……ま,出版もかなり特殊な業界だからね」

 「いやあ,印刷もそうなんですけど,特に出版なんて自転車(操業)じゃないですか?」

 K上「うん」

 「それに印刷なんていうのもすべてやっつけ(仕事)ですし,印刷機を一回廻してなんぼの世界じゃないですか?」

 K上「……まあ,そうだね」

 「いまこういう(世の中の)流れのなかで,そういう旧態依然としたビジネススタイルっていうのはまったく興味を感じないんですよね」

 K上「ふ〜ん,そうなんだ」

 「だからどうしたもんかなと思案のしどころなんです」

 K上「いや,でもさ出版ってそれだけじゃないじゃん?」

 「え?」

 K上「ほら,出版っていうのはたしかに利益を出さないと自社が運営していけないから儲けないといけないけど,それだけじゃなくて……」

 「はい」

 K上「文化の発展に寄与するとか学術的に社会に貢献するっていう意味での出版っていうのもあるじゃない?」

 「はい,それはK上さんのおっしゃるとおりなんですけど,いまの出版社って儲け主義に走っているというか,とにかく売れる本を出せってことばかりでなんかそれだけじゃありません?」

 K上「ん〜〜,まあ実際問題として社員に給料は出さないといけないからねえ……」

 「いまはとにかく売れる本を出せってんで,出版の理念とかロマンなんかこれっぽっちも感じられないし,そのうえ最近ではモラルもへったくれもなくなってきているように感じるんですよね〜」

 K上「……まあ,本当は出版っていうのは何冊も何冊も書籍を出して,そのなかで1冊ベストセラーが出ればいいっていう考え方だったんだけれどもね……」

 「でも,いまじゃ出す本すべてベストセラーにしないといけないみたいな雰囲気がありません?」

 K上「……この不景気じゃ,それ(風潮)もしょうがないかもしれないねえ」

 「世の中はどんどん変わっていってますからね.やっぱり出版もどんどん形を変えていかないといけないと思うんです」

 K上「……そうなのかもしれないね.あ,そういえば話は変わるけどtotsugekiさんはblogって知ってる?」

 「へ?」

 K上「……いや,お恥ずかしい話なんだけど実はblogってよくわからなくてっさ.いまさらほかの人にも聞けないし……」

 「ああ,そうですか.え〜っとblogっていうのは……」

なんていう話になり,「blogってどういうものなの?」とか「掲示板ってなに?」とかいう話になり,最後のほうは私が一方的にレクチャーをしているだけになってしまったのだが,気がつくと閉店時間になってしまっていたので,K上さんのご厚意に甘えてごちそうになり


 「いやあ,ごちそうさまでした.しかも本日はお忙しいところどうもありがとうございました」

 K上「いやいや,ボクもtotsugekiさんの話を聞いてとても勉強になったよ」

 「え? そうですか?」

 K上「おかげさまでものすごい有意義な時間だったよ」

 「あ,そうですか.あれくらいでよければいくらでもお話しますよ」

 K上「そうだね,また今度機会があったらお願いするよ.じゃあ,気をつけて」

 「はい,今日はどうもありがとうございました.失礼します」


九段下駅で別れたのでありました.