[blog]「教えることが楽しくない(天職でない)のが問題?」にご返事


先日、こんなトラックバックをいただいたのである。

e493の日記 - 教えることが楽しくない(天職でない)のが問題?
■[life][work][don't forget]教えるときの心がけ by 結城浩さん
http://d.hatena.ne.jp/e493/20051210


e493さんのこのご指摘

で、これまでも感じていたのですが、一番の問題はtotsugekiさんに教えたいという欲求があって教えているわけではない、それが大きいと思います。このあたり、うまく伝えられるかわかりませんが(という言い訳で、コメントやTBを引き伸ばしてきました、ということにさせておいてください)。

これは、totsugekiさんの問題でもあるのですが、totsugekiさんが悪いというわけではありません。微妙な表現でわかりにくいかもしれませんが。

とにかく、これ(totsugekiさんの今回の問題)はそういうことだと感じました。


はまさにそのとおりで、それというのは私が他人に物を教えたり、他人を動機づけたりするのがとても苦手で、自分でもそのことを強く認識しており、そろそろ自分がそういうことをしないといけない立場になりつつあるというのは理解できるものの、いざ他人に物を教えている最中になにかちょっとでもつまづいたりすると「なんで私は一所懸命こんなことをしないといけないのだろう?」などということを無意識に考えてしまっている自分に気がつくことがしばしばあります。

ですが、私は相手(この場合には彼女)にいやいや仕事を教えている……とわけではなく、どちらかというと自分自身では誰かになにかを教えるというのは苦手だというのは十分にわかっているけれども、別にそんなに嫌いでもないんじゃないかな? と思っている節があり、実は人に物を教えるっていうのはとても楽しいことなんじゃないか? と思っていたりする自分がいたりします。

で、私がなにかを教えている相手というのは、相手(私)がそんなわけのわからん複雑怪奇なことを考えながらその場に臨んでいるなんてことは露ほども知らないわけで、そんなことばかり考えている私から少しでも多くのことを吸収しよう、いったことを少しでも聞き漏らさないようにしようと必死なわけです。

そうなると私も相手の期待に応えたいとは思うのですが、上記にも書いたとおり、私がちょっとでもつまづいたりすると「ああ、なんだかなあ」と思ってしまっている自分に気づいて、「そんなことではいけない。彼女に仕事を教えるのは私の仕事なんだ。これが私のいまやらなくてはいけない仕事なんだ」と思いつつも、「でも、ひょっとして彼女は仕事を教わる相手は私じゃないほうがいいんじゃないか?」などという自問自答を繰り返したりして、私にとって誰かになにかを教えるというのはそのジレンマとの闘いでもあるのです。

ただ、私にとって誰かに仕事を引き継ぐというのは初めての体験なわけで、そういう意味でいえばなんでも最初からうまくできる人間はいないというのは十分理解していますし、最初からうまくやろうとしたりする必要はまったくないというのも十分理解しております。

でもそれというのは、私ができないことがあるのであればいくらでも時間をかけてできるようになればいいだけの話でしょうが、誰かに仕事を教えるという場合には当然相手がいるわけですし、しかもいまの状態だとそんな悠長なことをいっている時間もないわけで、彼女にとっては私が物を教えるのを上手になるのを待っている時間はない、だから急いで教えないといけない、だからできることなら一回で覚えてもらいたいというような私自身の焦りもあると思います。

で、そんななかe493さんからこのトラックバックをいただいてから、そのようなことをつらつらと考えていてはたと気がついたのですが、どうやら私は結果を求めすぎているような気がしたのです。それというのは自分に対してもそうですが、相手に対しても私が彼女になにかを教えたという事実や結果ばかりを求めていたのではないか? という気がしています。

なので、いま現在は相手にも自分にも結果を求めるようなことはしておりませんで「どうせ焦ったってなるようにしかならないんだから、だったら自分ができることをできることだけしよう」という考えと、必要なときに必要なことをする(d:id:totsugeki:20051117)という考えに基づいてシフトしてきております。

そしてそのことをいまこうやって冷静になって考えると、このエントリー(d:id:totsugeki:20051122d:id:totsugeki:20051210)を書いていたころは、そんな必要はまったくなかったのに「とにかく相手に急いで仕事を教えなきゃ」といったような強迫観念にとらわれていたような気すらしております。

そう考えると、ちょっと考え方を変えるだけでこんなにも変われるものなのだといまさらながらに驚いているとともに、それをご指摘いただいたり、教えてもらえる方がいるというのは私はとても幸せな人間なのだということを強く実感しておりまして、トラックバックやコメントをいただいた方にはこの場を借りて感謝の意を表します。

そしてご紹介いただいた結城浩さんの

教えるときの心がけ
http://www.hyuki.com/writing/teach.html#guide


ですが、じっくりと拝見させていただきました。

これはe493さんのおっしゃっているとおり、たしかに実践は難しいと思われますが、それよりもなによりも


 「人にものを教えるのにこんなにたくさん心がけなきゃいけないことあんの!?」


と、私なんぞはここに書かれていることを拝見して圧倒されてしまったのですが、人にものを教えるというのは教えるほうもこれだけの自覚と覚悟をもって臨まないといけないのだと大変勉強になりました。

というか、自分

「AはBでもあり、Cのときもあるけれど、Dだったりもするし、Eかもしれない」


というようなことばかりしかいってなかったので、これを拝見してまるで自分のことをいわれているようでとても恥ずかしかったです。

それと最後に

自分で気づかないやつは、人から言われても絶対にわからない
引用元:なんかリンクされていたので反応してみたり: KQZ on authentic


ですが、これは私は心理だと思っています。

でもe493さんが書き込まれたコメントに対してKQZさんは

しかしサービス提供側にいる人間には「慮る力」はある程度必須要件なんですよねー。
そしてもうひとつ大切なのは「なかなか気づけない人」「直感的には慮ることができない人」の存在を理解すること、とか…。
自戒自戒。


とのコメントをされていますが、これも私は真理だと思います。

そしていまだに修行中の身である私は上記の真理を理解するべく日々、感謝と精進あるのみでございます。