[blog]「教えるってことはむずかしい」にご返事(その2)


本日のエントリーは前回のエントリー(d:id:totsugeki:20051202)の続き。

e493の日記:教えるってことはむずかしい
■[life][work]考えることを教えるのはさらに難しい
http://d.hatena.ne.jp/e493/20051128


まずはこちらのエントリーを参照していただきたい。

酒と猫と組版の日々:[会社]自分がわからないときには黙っている勇気も必要だ
http://d.hatena.ne.jp/totsugeki/20051122


このなかで私が言及している


>一番大事なのは自分で考えることなんだよっ


というくだりに対して、e493さんは

っていうのは、本質を考えろってことかもしれませんが、これも考えてもわからないとか、そもそも、どう考えてよいのかわからないとか、考えるって(ナニ、どういうこと)? とか、あるいは自分がどう考えたかを他者に伝える方法を学び損ねてしまったとか。


とおっしゃられているわけですが、これを読んでたしかに自分のなかでは考えはあるけれども、それをうまく他者に伝えることができないというのはありかなと思いました(実際に私もそういう傾向があるので)。

また、それ以外にも

 ・私のいい方が悪い
 ・私の伝え方が悪い

という可能性もあるのもわかっておりました。というか、今回のケースはこちらの可能性のほうが大なのでとてもショックを受けたりしたわけですが、e493さんのおっしゃるような考えてもわからないとか、どう考えてよいのかわからないというケースには、やはりそれなりの対処をするしかない、もしくはできないという気がしております。

ですが、自分自身ではそれをする気がない、または自分ではしたくなかったのであえて目を背けていたわけですが、私のなかで世の中にはそういう人間もいるのだという事実を認めるということは、すなわちそういう人間にはそういう対応をするしかないということになります。

でも、私はそういう対応はできるだけせずに、その人間がなにか考えていようがなんにも考えていなかろうが、その人間の自主性や特性を伸ばしてあげられるのであればこんなにすばらしいことはないと思ってはいるのですが、あくまでそれは理想論であり、ビジネスである以上、結果がともなわないとなりませんし、のんびりと自主性が伸びるのを待っているわけにもいきません。

そうなるとそれはたんに私の考えが甘い、またはその方法を知らないというだけの話なのもしれませんが、いずれにしても現状ではそれなりの対応をしないとあかんのかなあと思っております。

※以下余談ですが:あ、でもこれ、聞く余裕がない人に伝えるのは結構むずかしいな。と自分で最近感じた。で、自分が伝える側だとそれに気づくのですが、自分が聞く側だと、自分に余裕がない(というか、伝えようとしている側を必要以上に圧迫面接してる(プレッシャーかけてる)ことに気づきにくいです。ここまで余談※


これは誰でもそうだと思います。ですので、私は自分に余裕がないなと感じたときには、なるべく誰とも口を聞かないようにしておりますが、まわりの人間にとっては逆にそっちのほうがプレッシャーだったりする可能性があるような気がしてきました。

で、唐突に、

atsushifxの七転八倒 ≫ Blog Archive ≫ Re: 決めてあげないと動けない人

を張ってみる。

よくわからんが、たぶん、部下(教わる人、指示を受ける人)をみて、その人に合わせた指示を出せということではないでしょうか。いや、面倒だけどさ。それが(人としての)仕事(会社のためではなく社会のため)なんですよたぶん。

いやこれはむずかしいことです。


う〜ん、これはたしかに難しいですね。つい先日、読んだ書籍には


 「世の中には自分で考えてやりなさいといわれると自主性を発揮して喜んでやるタイプと、どうしたらいいか困ってしまうタイプがある」


と書かれていましたが、まさにこのとおりなのかと思ったりもするわけですが、もしそうであれば対処の方法があるということになりますよね。

それと最後になってしまいましたが、私がblog中でいっている本質とは、じっくりと考えて導き出したものという定義ではなく、人の行動の結果として実際に表れて(他人が)その人を判断できるものであり、それがなにも考えていないうえでの行動であろうが、深く考えたうえでの行動であろうが、本能であろうが、天然であろうが、私はその人の行動や発言そのものがその人の本質だと考えております。

ちなみに本質をgoo辞書で調べてみると

ほんしつ 0 【本質】

(1)物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。
「問題の—を見誤る」
(2)〔哲〕〔(ラテン) essentia; (ドイツ) Wesen〕(ア)伝統的には、存在者の何であるかを規定するもの。事物にたまたま付帯する性格に対して、事物の存在にかかわるもの。また、事物が現に実在するということに対して、事物の何であるかということ。
(イ)ヘーゲルでは、存在から概念に至る弁証法的発展の中間段階。
(ウ)現象学では、本質直観によってとらえられる事象の形相。


ということらしいです。

こうやってみると本質ってなんかえらい難しくて、気軽には使えませんね。

という結論でよろしいでしょうか。