[自分ルール]自分ルール


私は基本的に怠惰な人間なんである。

しかも、それがあんまりにも度が過ぎていたので小学生、中学生のときというのは周りの人間(家族や学校の先生)がとても苦労をしたのである(その当時は本当にぼけーっとしていたので、本人は自分が苦労しているとはまったく気がついていなかった)。

母には


 「お前はやればできる子だ」


とまるで呪文のようにいわれ続け、おかげで私の座右の銘は「大器晩成」になったし、愚妹にはいまだに


 「兄はだらしがなくて(人間として)最低でどうしようもない」


といわれたりする始末。

自分自身ではそこまでひどくはないんじゃないか? と思ったりもするのだが、本当のことなので別にどんなひどいことをいわれても反論しないし、どうもいまだに家族全員にそういうふうに思われている節があるのだが、厳然たる事実なので特に否定はしない。

私は実はそれくらいだらしのない人間なのである。

そして、そんなだらしのない人間がどうにかこうにか苦労をして高校生になり、なにやら自我らしきものが芽生えてきたと思ったら、あるとき急に理由はわからないが、そんなことではいけないと気がつき、あることを思い立ったのである。

それが自分でルールを決めてそれを確実に実践するということであった。

すなわち、だらしのない自分自身をしばるための自分ルールを作り、それを遵守することである。

だから、一番最初の自分ルールは


 「自分ルールは絶対に遵守すること」


だったのだが、それから「こんな失敗は二度としたくない」とか「自分があんなことされたらいやだな」とか「こういう場合にはこういうふうにしていこう」とかいう、どちらかというと自分で見たり、聞いたり、実際に体験したりしたネガティブな情報から、自分が思ったり、感じたりしたことを自分ルールに加えていったのである。

これがもし「あの人の言動がすばらしい」とか「この書籍に書いてあることは感動的だった」とか「この絵画はなんて素敵なんだろう」というようなポジティブな情報から自分ルールを作成していれば、もっと感受性豊かな人間になったのかもしれないが、幸か不幸かそうならなかったので、私は基本的に怠惰かつネガティブな人間になってしまったのである。

ま、ネガティブだろうがポジティブだろうがなんでもいいのだが、そのおかげでいまなんとか社会人として世の中に適用しているかのように振る舞っていられるのである(いまそのタガが外れかけているのでだいぶあやしくなっているけど)。

だが、高校生のころはアイザック・アシモフのロボット工学三原則よろしく単純なルールのみで生活していけたのだが、社会人になってからはルールが複雑になりすぎて、自分でも把握しきれなくなってしまっているのだが、ちょうどいい機会なのでこのへんで自分ルールの棚卸しをしておこうと画策中。

会社ネタは書くのは楽しいのだけれども誰かがネタを提供してくれないと書けないし、これでエントリーも短くなると一石二鳥なので、しばらくはこのネタでいきます。