[ちょっとダメなもの]しばりがないとダメな人間


なにを隠そう、それは私のことである。

とにかくなんでもいいのでなんらかのしばりや制限がないと、な〜んにも考えなくなって、な〜んにもしなくなってしまう、ぐうたらな人間なんであるな、私は。

でも、なにかにしばられているあいだは「あ〜、いちいちうるさいなあ。本人の好きにさせろよ」と思っているのに、いざ「好きにしろ」といわれるとなにをしていいのかわからなくなってしまうタイプなので、ジーコよりトルシエというか、長嶋よりは星野といった感じか。

だから、いまのように会社を辞めるのはわかっているけれども、いつというのがはっきりと決定していないような宙ぶらりんな状態だと(10月15日付けというのは決まっているけれどもさ)、自宅にいてなにか作業をしようとするよりも、「行くのだるいなあ〜」と思いながらも会社に来ていたほうがまだメールチェックなり、blogの更新もはかどるのである(自宅でできないというわけではない)。

まあ、これは結局そういうルーチンで4年間過ごしていたせいだと思うが、これで会社に来なくなって自宅にずっといるようになれば、すぐに慣れるとは思うのだけれども。

それにしても人間というのはストレスやしがらみがなくなると、本当に幸福になるものなのですなあ。それが私のように協調性のかけらもない傍若無人な人間でも、やはり会社に行って仕事をするという行為はストレスになっていたのだということに気がついた。

というのも、会社を辞めることが決まってからはそういうものが一切ないから、もう毎日がムダに楽しくて仕方がないのである。

これはたぶん会社というしばりがなくなったことによって、「自分は自由なんだ」とか「なにをしてもいいんだ」という一種の高揚感というか幸福感にどっぷりと浸っていられるからだと思うが、それを端からみると会社を辞めることによって一時的に負担がなくなったことを自由だと錯覚して舞い上がっているか、たんに現実逃避をしているようにしかみえないのだろうなあ(私の場合はたぶん後者だ)。

だからといって、いつまでも現実逃避を続けるわけにもいかないので、会社に行く必要がなくなったら今度は自分で自分自身をしばらなくてはならないのだが、これがぐうたらな私にはできないのである。つまり、自分で自分自身をマネジメントしなくてはならないわけだが、これが難しい。

だってこの会社に入ったのも、前の会社を解雇されてから毎日毎日ぷらぷらしていたらお金がなくなってしまったので給料さえもらえれば別にどこでもよかったのだもの。

じゃあなんで印刷という業種を選んだのかというと、たんに出版社→編集プロダクションときたら次は印刷所だろうというものすごい安直な発想で選んだだけだし、しかもいまの会社がたまたまハローワークで求人票の一番最初にあったので電話をしたらすぐに面接に来いといわれて、トントン拍子に入社が決まってしまっただけであって、決してこの会社に入りたいという自主的な意志があったわけではないのだ。

これを場当たりといわずしてなんという。

だいたい、自分で自分自身をマネジメントできるのであれば、こんなアフォな会社に入社したりはしないのであるな。

というか、それが完璧にできるような人間はそうそういないとは思うが、人間誰しも少なからず自分の方向性を見出しているわけだから、そういう意味でいえば私も多少は自分をマネジメントしているはずなのだが、そういう実感がまったくないというのは場当たり的に人生を進んでいるからなのだろうなあ。

実際、今回の一件も周りはとても心配してくれているのに、本人が根拠もなくこうやってのんびりしているのは「ま、なんとかなるだろう」と思っているからなのだが、でも私自身、仕事は選ばなければいっぱいあると思っているし、実際に世の中には仕事はいっぱいある。

ただ、それが自分がやりたいことかどうかとなると話は別だが、それが一番の問題だという人もいるのでなんともいえないが、私は別に引っ越しのアルバイトをしていたって十分に食っていける自信があるし、それにまだDTPを続けるのであればたぶん次の仕事もすぐに決まるはず(おお、すごい自信だ!!)。

でも、それだけじゃ不満なんだよね〜〜。やっぱり+αがないと。それにDTPにもあきちゃったしなあ(これって贅沢かなあ?)。

だからといって編集とか組版以外にできることがないというのも問題なのだが、結局一番の問題はビジョンがなにもないっていうことだ。

う〜む、どうしたものか。悩みどころですのう。