[会社]会社は誰のために存在しているのか


先日ラジオを聴いていたら、スルガ銀行社長 岡野光喜氏が小山薫堂氏と対談をしていたのだが(番組はこちら)、そのなかでナビゲーターである小山薫堂氏が


 「岡野さんは社長の役割というのをどういうふうにお考えですか?」


というようなことを訊いたのである。そうしたら岡野光喜氏は


 「私は、社長というのは社員がのびのびと仕事をするためのステージを作ってあげるのが役割だと思います」


というようなことをさらっといったのだが、それを聴いていた私は「ああ、なるほどなあ」と思ったのである。

むろんほかにも「私にとってお金は商品です」とか「現代社会において銀行が果たさなくてはならない役割」といった蘊蓄のある話もしていたのだが、岡野氏がなんら気負うことなく、ごく当たり前のようにそういうことを言ったというのは、やはり一流の経営者というのはいうことが違うなあと感心したのである。

といっても、私は失礼ながら岡野氏が経営者として優秀なのかはよく知らないのだが、「社長の役割はなんだ?」と訊かれて、そういうことをさらりといえるというのはたぶん一流の経営者なのだろうと思う。

ただ、そこらのビジネス書を読めばそんなことはいくらでも書いてあるので、ちょっと勉強さえしていれば「そんなことは当たり前だ」と思うかもしれないが、書籍を読んだくらいで本当に身に付くのだったら、みんな経営者になれてしまうのであるな。

日本中に経営者と呼ばれる人間はたくさんいれど「会社は社員のために存在している」といえる経営者はどれほどいるのだろうか?

大多数の経営者は「俺様が社員を雇ってやっているのだ」と思い、「会社があるから社員がいる」と思っているのではないだろうか?

まあ、経営者というのは多大な責務や多大な責任を一身に負っているものだから、日々それに追われてしまって余裕がないというのもわからないでもないが、いくら優秀な人間とはいえ、寝ないで仕事ができるわけでもないし、ましてやすべてを一人でこなせるわけではない。

ということは、自ずと誰かに仕事を任せなくてはならなくなるのだな。

つまり、経営者の器というのはいかに他人に仕事を任せられるかということに尽きるのだと思う。もっというと、いかに優秀な人材を集めて、いかに仕事を任せ、いかに仕事がしやすい環境を作って与えられるかというのが経営者の役割だと思うのだ。

それは管理職も同様だが、管理職というのはいわゆる会社のトップが決めているわけだから、経営者がアホだとそのアホな経営者が任命した管理職もアホなんである。

で、管理職がアホだとその下にいる人間もみんなアホ、とまあアホアホばかりになってしまうのだが、それだけ経営者の責任は大きいのであるな。

というか、当社の場合、本当に「経営者」と呼べるような人間が会社のトップにいるのかさえも甚だ疑問なのだけれども。

なもんで、ただいま●●回しを覚えるべきか、その前に●●語を覚えるべきか思案中。