[会社]言わないとわからない人間


最近つくづく、


「言わないとわからない人間」


というのは


「言ってもわからない人間」


なのだなと痛感しているのである。

私のまわりにいる「言わないとわからない人間」は、ほぼ全員「言ってもわからない人間」なのだが、一口に言ってもわからない人間にもレベルがある。

1回言ってもわからない人間というのは、2回言ったらわかる人間なのかもしれないが、その前にわざわざ言わないとわからないという時点で、感度の低い人間である。

3回言ってもわからない人間というのは、10回言ったらわかる人間なのかもしれないが、3回言われた時点でわからないということはもうその時点でおしまい。

そして10回言ってもわからない人間というのは、もう社会生活は営めないという自覚をしたほうがいいと思うのだが、10回言ってもわからないくらいだから、そういう人間というのはいくら言っても聞く耳を持たないのであるな。そういう人間はもうお手上げである。

で、ここで問題なのは「1回言ってもわからない人間」と「10回言ってもわからない人間」も、言ってもわからないという時点でたいして差がないということである。だから言ってもわからないという時点で少なくとも私はそういう感度の低い人間と一緒にいたくはないし、ましてや仕事は絶対にしたくない。

だがこういうと不遜かもしれないが、世の中は言ってもわからない人間ばかりなんである。だからそういう人間とどういうふうに仕事をすればよいのかということを考えなくてはならない。

でも、言わないとわからない人間というのは、いえばまだ理解してもらえる可能性がある。

しかし言ってもわからない人間というのはもう救いようがない。だからといって私も向こうから聞かれないかぎり(そんなことはいままで一回たりともないが)、いちいち事細かになんでそういうふうになるのかなどと説明はしないし、向こうのレベルと同じところまで自分のレベルを下げたりはしないので*1、まかりまちがってそういう人間と一緒に仕事をしたりすると、とても険悪な雰囲気になってしまい、たいてい一方的に嫌われ、「あの人と一緒に仕事はしたくありません」などといわれる羽目になる。

う〜ん、いわないとわからないほうが悪いのか、それともいちいち説明をしないほうが悪いのか。

しかし、よ〜く考えると言わないとわからない人間を相手にしているのがわかっているのだったら、どう考えても私が歩み寄りをしなくてはならないのだが、「どうせ言ってもわからないだろうしなあ」などと考えながら説明をしていると、だんだんどうでもよくなってきてしまい、「なんで自分がこんなことを説明しないといけないのだろう?」などとちょっとでも思ってしまうと、説明にも身が入らないのである。

ここでちょっと話は変わるが、

たとえば私が搬入されてきた大量の荷物をえっちらおっちら一人で運んでいたとしよう。そして私が荷物を運んでいる目の前を素通りしていく人間に「(あまりにも量が多いので)ちょっとこれ運ぶの手伝ってくれない?」といったとする。

 あなたは手伝いますか? それとも手伝わない?

……まあ声を掛けられれば、普通いやいやでも手伝うと思うが、そんなことはどちらでもいいのだ。

問題はわざわざ「ちょっとこれ運ぶの手伝ってくれない?」かといわれたことである。

もし私が逆の立場であれば、一人で苦労して荷物を運んでいる人間をみたら「あ、手伝いましょうか?」と声をかけて運ぶのを手伝うはず。

もし見知らぬ相手であれば「いやけっこうです」といわれる可能性もあるが、少なくとも同じ会社の人間で顔見知りであれば「ありがとうございます」とお礼をいわれることはあっても、「俺の荷物に手を触れるんじゃねえ!!」などといわれることはないはずである。

これは荷物が大量に存在しているというのが目に見えるのでとてもわかりやすい状態だと思うのだが、こんなにわかりやすい状態なのにもかかわらず、言わないとわからない人間はわざわざ言わないとわからないし、ましてや言ってもわからない人間には理解できるように説明をしなくてはならない。

となると、言わなくてもわかってしまう人間と言ってもわからない人間の差は、マリアナ海溝よりも深く、エベレストよりも高いのである。

だから、もし目の前で言ってもわからない人間が何十人もヒマそうにボケーっとしていたとしても、なんでこんな作業をするのかを説明し、作業内容を説明し、実際に作業をやらせ、作業の成果を確認し、修正をフィードバックして、次の作業に備える……なんて気にはさらさらならないのであるな。

何十人のできないオペレータよりも、一人の優秀なオペレータのほうがよっぽどいい仕事をするというのは紛れもない事実である。だが優秀な人間はこなせる仕事量も増えるので他人よりも絶対的な仕事量が増えるのも紛れもない事実だ。

だから私は仕事ができる人間のほうが一概にいいとは思っていないが、仕事というのはたいてい生活のために一生やっていなかなければならないことなので、仕事ができないよりはできたほうがいいと思っているし、私はそうなりたいと思って日々努力している。

ただ、優秀な人間とて最初からいまのような仕事ができたわけではない。

だから最初は言われてもわからない人間でいいのである。最初はみんななにも知らないのは当たり前だ。

言われてわからない、または理解できなかったら、ほかの人にあとで理解できるまで聞くなり、自分で納得できるまで調べるなりすればいい。そうやって石にかじりつく思いで努力していれば、いずれは言われたらわかる人間になるはず。

そしていわれたことを必死でこなしていれば、いずれは言われなくてもわかる人間になれるはずだ(そういう人間になりたいかどうかは別にして)。

大事なのはわからないことをわからないままにしておかないことと、知らないことを知らないままにしておかないこと、これにかぎる。簡単なようだがこれを実践するのは意外と難しい。

……でも、本当ならこんなことわざわざ書かなくてもわかる人間はわかるし、わからない人間にはいくら説明してもわからないのだろうなあと思いつつ、つくづく痛感するのである。

ああ、人生ってなんて不毛なんだろう。

*1:やりたくてもできないし、そもそもそんなことをする気がない