[会社]職人気質


を辞書で調べるとこういう意味らしい。

しょくにん-かたぎ 5 【職人〈気質〉】
職人に多い気質。自分の技術に自信をもち、安易に妥協したり、金銭のために節を曲げたりしないで、納得できる仕事だけをするような傾向。


ほほう、「安易に妥協したり」しないですか。かっこいいですのう。

私も一度でいいからそういう仕事をしてみたいものだが、しがない印刷所に雇われているしがない身である私には仕事などというのは妥協の連続でしかないし、そもそも編集制作(校正)やDTPなどというのはやりこめばやりこむほど、作り込めば作り込むほど相対的にいいものができるわけで、だからといって一切妥協をしない制作物なんかを作ろうとしたら、たぶん作業を一生やり続けるようなはめになってしまうだろうから、どのへん(技術、金、時間)で妥協するかという判断が重要だと思うのだが。

しかし、上記では仕事は妥協の連続とか書いたりしているが、なにを隠そう私も職人気質な人間なんである。

blogを読んでりゃ、そんなことバレバレだよと思われる方もいらっしゃるかもしれないが、そうではない方もいらっしゃるかもしれないし、それよりもそういう前提にしておかないとこのエントリーが進まないので、これをお読みの方はこのエントリーを読むあいだだけでもおいらがバリバリの職人気質だということにしておいてくんねい。

で、実は私もちょっと前までは「ほかの人間に任せたんじゃなにができるかわからないんで自分でやります」といって、大事な顧客先の仕事や難しそうな組版は絶対に他人にはやらせずに頑なに自分一人で作業をしていたのである。

それはなんでかというと、それがこの会社の組版(製品ではない)のクオリティを維持する(少なくとも下げない)唯一の方法だと信じて疑わなかったからであり、しかも自分一人で作業を完結することによって、少なくとも他人が作業するよりはミスが少なくそのうえ作業スピードも早いから、そのほうが絶対に効率がいいと思っていたし、それにみんなにあれこれ指示をしなくてよかったので、他人とコミュニケーションをとるのが億劫な人間である私にはそのほうがとても楽だったのである。

これを職人気質というのかは疑問だが、少なくともその当時の私は過剰なまでに「自分の技術に自信をもって」いたし、他人には理解できないようなこだわりをもって仕事をしていたのはまちがいないのだが(これはいまでもそうだけれども)、しかし楽だからといって簡単な道ばかりを選んでいると、あとで手痛いしっぺ返しがくるというのは世の中の常である。

いま思うと「ほかの人間に任せたんじゃなにができるかわからないんで自分でやります」なんてことをいってしまうというのは、たんに自分の自己満足と虚栄心を満たすためでしかなかったのだけれども、幸か不幸か実際に作業をしてみたら、そのとおりだったので私を含めて部署の人間もみんな勘違いをしてしまったのである。

そして私はそれが自分にも会社にもいいことだと思って勘違いをしたまま、ひたすら組版をし続けたわけだが、ふとあるとき「自分、なんでこんなに一生懸命仕事をしているのだろう」ということに気がついてしまったのである。

みずから「自分でやります」といったのに自分で矛盾に気がつくというのも変な話なのだが、とにかく一回気がついてしまった以上はこのままではいけないと思い、いろいろと方法を模索してたどり着いたのが、この前の交渉のときに常務に話したらむげに却下されたチーム制である。

というか、一人でやっていくには絶対に限界があるわけだから、これからはチームを編成してチーム単位で作業にあたるべきだというのは世の中の時流というか、当たり前といえば当たり前の話なのだが、この会社ではそれが当たり前ではなかったためにみんな勘違いをしていたわけで、そのことを会社側(ドブとかバカ)に言い始めたのもちょうどこの頃なのだが、そんなあるとき隣人のH川にこんなことをいわれたのである。


 H川「まわりの人間が伸びないのはお前の教育が悪いからだ!!」

 「はぁ? いきなりなんですか?」

 H川「お前がまわりの人間にちゃんと教えないから、みんな伸びないんだよ!!」

 「そんなことボクの知ったことか。伸びないのは自分で勉強しないからだろ? 知りたかったらもっと勉強しろ」

 H川「はぁ? オレがいっているのはそういう意味じゃないんだよ」

 「じゃあ、どういう意味ですか?」

 H川「オレがいいたいのは、お前がまわりの人間にちゃんと親切に教えてやらないから、みんな伸びないってことだよ」

 「なんでそれがボクのせいなのかがよくわからないんだけど、そもそもなんでボクがまわりの人間に親切に教えなくちゃいけないわけ?」

 H川「……お前が仕事を知ってるからだよ」

 「じゃあ、なんで仕事を知っている人間はまわりの人間に親切に教えないといけないわけ?」

 H川「……それは仕事ができる人間の義務だから」

 「つうか、なんでボクにそんなこというの?」

 H川「お前しかいう人間がいないからだろ。このボケ!!」

 「そういうことはさあ、あそこにいる部長とか課長とかよばれている人たちにいってよ」

 H川「そんなこと、あいつらにいってもしょうがねえだろ!! バカなんだから!!」

 「そんなこといわれなくても知ってるよ。じゃあ聞くけどさ、なんでまわりの人間と同じ待遇のボクがみんなに教えてあげないといけないわけ?」

 H川「だ〜か〜ら、それが仕事ができる人間の義務だからだよ!!」

 「いや、ボク自分の仕事で手一杯なんでそんなこと無理です。勘弁してください」

 H川「だから、お前は小者なんだよ!!」

 「それにやる気がある人間にならいくらでも教えるけど、やる気のない人間に教える気はさらさらないんで」

 H川「そういうこといっているから、まわりが伸びないんだよ」

 「じゃあ、ボクが親切に教えてまわりの人間が伸びたらボクはなんかメリットがあるわけ?」

 H川「そういう目先のことばかりいっているから、お前は小者なんだよ!!」

 「へぇへぇ、小者ですいませんねぇ……」


なんでいきなりこんなことをいわれたのかはいまだによくわからないのだが、これをH川にいわれたときには私はムキになって反論したものの、いま思うとやつのいっていたことというのはしごくまっとうな意見のような気がするのだが、たぶんやつが本当にいいたかったのは


 自分が仕事ができるからといって自分だけがよければいいというわけではない


ということだろう。つまり、自分が仕事ができるというのであればこそ、まわりや他人に対してやらなくてはならないこともあるということである。

そしてそのことに気がつかせてくれたというのは、私にはとても画期的だったのだが、だからといって私が急に心を入れかえて親切にまわりの人間に教えはじめたりするというようなことはなく、正直なところ「ふ〜ん、義務ねえ……」といった感じにしか受け止めてはいないのだが。

というか、いつも私はいくらでも教える気はまんまんなんである。逆に「私の知っている組版の知識なんかでよければいつでも喜んでお教えしますよ」といった感じのスタンスでいるつもりなのだが、こちらがいくらそうは思っていても誰もなにも聞いてこないので、意欲だけがものすごい空回りしているというか、わざわざ目の前までいって


 「組版のことでなにかお困りのことはないですか?」


などと聞くことが親切ってことなのかなあと思ったりもしているのだが、たぶん違うな。

隣の席に座っている人に


 親切ってなんですか?


って聞いたら、お前は組版の前に親切を覚えろっていわれるかも……。いや、きっといわれるな……。