[組版]テキトーサイコー
私はいま、すばらしくじっくりと時間をかけて作成されたドキュメントの修正をしているのだが、版面の細部にわたって適当なすばらしい組版がしてあるので、修正をするのにはさらに時間がかかってしまうという摩訶不思議な事態に直面している。
あんなに時間をかけて作りこんだというのにもかかわらず、こんなに適当なすてきな組版ができるなんて、ある意味これを作成した人間は非凡なのだろう。
しかし印刷所でMacオペレータをしているのに、なんでこんな適当なすてきな組版ができるのか是が非でもその理由を知りたいところなのだが、その理由もしくはなんらかの言い訳を聞いた途端に条件反射でひっぱたいてしまいそうなので、なにも聞かないことにしようと思っているのだが、ついさきほどからマウスを持っている手が震えてきた。
これはたぶん怒りだ。
もうね、
キャプションが本文とおなじ大きさなのでひと回り下げろとか、
図表とキャプションのあいだのアキがすべて違うので統一しろとか、
スラッシュが全角と半角が入り乱れているのですべて統一しろとか、
文献の文字の大きさが途中から大きくなってしまっているので前の号と同じ大きさにしろとか
いう指示はたいしたことではないのである。
問題は、このドキュメントを作成するのにあんなに時間がかかったのに、修正するのになんでもっと時間がかかるのかってことだ。最初に版面設計をする際に多少時間はかかってもあとで修正をしやすいように組んでおけばこんな苦労はしなくてよいのである。
というかムダ。
こんな適当なものを作るのにあんなに時間がかかっていたのでは、そりゃいくら時間があっても足りないだわさ。
そのうえ修正するのにこんなに時間がかかってしまうのではもう絶対に間に合うわけがない。
もう、すべてが適当ですよ。
テキトーサイコー。
ただ、修正するほうからいわせてもらうと
「もっとちゃんと作れ。コラ」
となるのだが、ちょっと私がなにかいうと「急かされていたから適当に作っちゃったんです」とか「そこまでやっていると校正出しに間に合わなかったので……」なんてつまらん言い訳を早口で5分も10分もまくしたてられるはめになるので、もうなにもいわずに黙々と直す。
でも、マスターページにノンブルも置かないとか、単ページで見開きを作っちゃうとか、スタイルシートも作らないというのはどういうことなのだろうと疑問に思うのだが、とにかくその場凌ぎで間に合うようにしかドキュメントを作っていないからこうなるのだろうなあ。
で、初校が戻ってきたらまたその場凌ぎで修正をして再校を出して、再校が戻ってきたらまたその場凌ぎで修正をして……という繰り返しなのだろうなあ。しかし、あんなに残業していたらどこかで帳尻があいそうなものだけれども、こんな作り方では帳尻があうことはたぶん一生ないのだろう。
そういえば「教育とは愛だ」とこの方がおっしゃっていたが、まったくそのとおりだなと痛感しているのである。
なにせ私はこの会社やこの会社に所属している社員に対してまったくといっていいほど愛がないので、誰がどんなに適当な組版をしようが、誰かのミスでなんの関係もない私が苦労するはめになろうが、誰がどんなオイタをしようがもうどうでもいいのである。好きにしてくれよんという感じであるな。
それに彼女を責めてもなんの意味もないしさ。なにせ私よりキャリアがあるし(これが書きたいだけか?)。
まあ、仕事ができるできないと業界に身をおいていた年数とには相関関係はまったくないから、この業界に10年いたって使えない人間はいつまでたっても使えないし、未経験で入社したのに半年でそういうやつらを追い越してしまう人間もいるわけだから、しょせんキャリアなんていうのはなんの判断基準にもならんということなんだなあ。
ま、なんにせよこいつは明日下版しなければならんので、もうちっとばかし気合を入れてやるしかないですのう。
でも、彼女はこんな適当な仕事しかしていないにもかかわらず、彼女のほうが私よりも給料が多いというのはやっぱりキャリアの差なのだろうか。
……やっぱりこれからはキャリアだな。
キャリア、サイコー。