[ちょっとダメなもの]当たり前のことが当たり前に終わらない人


仕事でもプライベートでもなんもそうだが、当たり前のことが当たり前に進行し、そして当たり前に終わるというのは難しい。

仕事であれば、最初から最後まで一人で仕事をしていればそんなこともないが、どうがんばっても一人では終わらない仕事というのも存在するので、こういった場合には本当は一人でやりたいのだけれども仕方なく(?)ほかのオペレータに図のトレスなり、スキャニングなり、表組の作成なりをやってもらわなければならない。

私の場合、基本的に経験者であればまずはひととおり仕事をやらせてみてから結果を確認し、相手がどのくらい仕事ができるのかの力量を判断する。

そして「この人はこれくらいだろう」とか「この人はこれくらいだな」といった感じで仕事を割り振るのだが、たいてい締め切りの直前になって「……やっぱりできませんでした」と真っ青な顔でいわれ、結局自分でやるはめになることが多い。

最初は私の見立てが厳しいのかと思い、「これくらいはできるだろう」とかなり判断を甘くしたりもしたのだが、ちょっと分量が多いとやっぱりできない。

「じゃあ、これならできるだろう」とかなりレベルを下げたうえに分量も少な目にしてやらせてみたのだが、ぎりぎりで期日には間に合ったもののまちがいだらけ。

仕方がないので「これくらいはやってもらわないと困る」というレベルと分量の仕事を頼もうかとも思ったのだが、このくらいの仕事であれば自分でやったほうが早いということに気がついた。

だが、そうなるとなんにも仕事が頼めなくなってしまうので、どうしたものかなあと考えたりもしたのだが、ある程度の知識があって、経験があって、なおかつ毎日組版をしていれば、このくらいはできるだろうと思って仕事を割り振っていたのだが、そもそもその前提がまちがっていることに気がついた。

つまり、当たり前というのは私の当たり前であって彼らの当たり前ではない。ようは私は自分の当たり前を彼らに押しつけていたに過ぎなかったのである。

ちなみに「当たり前」を辞書で調べると、

あたり-まえ ―まへ 0 【当(た)り前】

(名・形動)[文]ナリ
〔「当然」の当て字「当前」を訓読みした語〕
(1)だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然なこと。また、そのさま。
「困っている人を助けるのは―のこと」
(2)普通と変わっていない・こと(さま)。世間なみ。なみ。
「―の人間」「―にやっていたのでは成功しない」


>(1)だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然なこと。

だと思っていたのは私だけだったというわけ。

だが、仕事で締め切りが切られている以上、それに間に合わさなければならないわけだが、彼らの当たり前に付き合っていたら絶対に間に合わない。

それに印刷所というのは流れのなかでは一番の下流なのでここに流れてくる仕事というのはたいていみんな急ぎなんである。

まあ、私の当たり前につきあえないというのであれば仕方がないが、会社の当たり前につきあえないというのは問題ではないかと思ったりもするのだが、なんとなく仕事をしているのが自分の当たり前だといわれれば「ああ、そうですか」ってなものなのかもしれない。

そもそも会社の当たり前につきあえない人間が、社会の当たり前につきあえないっていうのは至極当然のことなのかもしれないが、当たり前とか常識とかいうものは日々変わっているのでこれらを定義するのはなかなか難しいことなのだなあなどと思いつつ、当たり前のことが当たり前に終わる人たちだけとお仕事をして、当たり前のことが当たり前に終わる人たちだけとおつき合いをしたいものだと思う今日この頃。