自分の小さな「箱」から脱出する方法を読み終えて


すぐに思ったのは、

 「一度箱の外に出てしまえば(というか、いったん出る方法がわかれば)、箱から出ることはそれほど難しくはないのではないか」

ということだった。

しかし、その一方で

 「箱から出続けたままの状態でいるというのは、箱を出ることよりもはるかに難しい」

とも思ったのである。

というのも、この本を読み終えたあとで、この「箱」という概念を自分に当てはめてつらつらと考えてみたのだが(この本の最後のほうにこの言葉を知らない人間にはみだりにこういう言葉を使うなと書かれていたけれども、あえて書かせてもらう)、私自身では親しい人(家族や友人)に対してはこの「箱」から出ていた時間のほうが長いように思われた(ただし、これは私の主観であり、しかもいつも箱の外に出ていたというわけではない)。

しかし、これが会社(特に前の会社)の場合にあてはめてみると、そうもいかない。

というのも、私は冒頭のトム氏のように「この会社(自分のまわり)には無能な人間ばかりしかいない」と本気で思っていたからである。

そして本気でそう思っていたために我慢ができなくなって前の会社を辞めたわけだが、私はそのこと(会社を辞めたこと)に対して、私のことを心配してくれたまわりの人たちに「どにに行っても一緒だよ」というようなことをいわれるまでもなく、私自身に問題があるから会社を辞めるのだということは十分承知していた。

しかも、なぜこの会社を辞めるのかを自分自身で理解をしていないために、他の人に「なぜ会社を辞めるのか?」と聞かれたときに、明確な答えが自分の言葉で説明できないという事実、そして自分ではその問題に気づいていながらも自身ではこの問題を解決することができないという事実を踏まえて、非常にゆゆしき問題だとは思ってはいたのだが、重大な問題だという認識をしていたにもかかわらず、生来の無精でなにもせずに放置しておいたのである。

だが、この本を読んで上記の問題に対する明確な答えがみつかったような気がしたのである。

つまり、私は前の会社ではまちがいなく「箱」に入っていたのだ。

それも頑なに。

だから、「社内の人間は無能だ」、「幹部はアホばかりだ」と批判ばかりしていたのである。

そしてその思いは、いま現在この「箱」を読み終わったあとでも少しも変わってはいないのだが、もしあの当時の私がこの「箱」を読んでいたら、少しは対応は変わっていたのだろうか? もしくはあの会社のなかで箱から出る努力をしただろうか? はたまた箱から出ることができたのならば他の社員にもっと熱心に仕事を教えたのだろうか? ……などというようなことを考えたりもするわけだ。

しかもこの「箱」の内容に即して考えるに、あの当時の私は相手を物としか思っていなかったということは、自分ではまわりに一生懸命気を遣っていたつもりでも、まわりの人間にとってはひどく冷たい奴にうつっていたのかもしれない(それはつまりこの本によれば私は私自身に気を遣っていたということにほかならないのだが)。

しかし過去を振り返ってもなにも変わらない。明日を変えるためには現在を変えなくてはならないのだ。

そして、その一歩は自分が「箱」から出ることからはじまるのである。